東京高等裁判所 平成9年(ネ)4734号 判決 1997年2月19日
主文
一 控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。
二 附帯控訴に基づき、原判決主文第四項中次項の被控訴人鶴田隆の請求を棄却した部分を取り消す。
三 控訴人らは被控訴人鶴田隆に対し、各自、原判決主文第一、二項に認容されたものに加えて、金七三万二〇〇〇円及びこれに対する平成元年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被控訴人鶴田隆のその余の附帯控訴を棄却する。
五 控訴人らと被控訴人鶴田隆の関係にかかる訴訟費用は、第一、二審(控訴費用を除き、附帯控訴費用を含む)を通じこれを四分し、その一を被控訴人鶴田隆の、その余を控訴人らの負担とし、本件各控訴費用は各控訴人の負担とする。
六 この判決の第三項は、仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 当事者の求めた裁判
一 平成七年(ネ)第四七三四号事件
1 控訴人石井林造
(一) 原判決中控訴人石井林造敗訴部分を取り消す。
(二) 右取消しにかかる被控訴人らの控訴人石井林造に対する請求をいずれも棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
2 被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
二 平成七年(ネ)第四七九八号事件
1 控訴人樋川洋治
(一) 原判決中控訴人樋川洋治敗訴部分を取り消す。
(二) 右取消しにかかる被控訴人らの控訴人樋川洋治に対する請求をいずれも棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
2 被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
三 平成七年(ネ)第四九二九号事件
1 控訴人本間産業株式会社(以下「控訴人本間産業」という。)
(一) 原判決中控訴人本間産業敗訴部分を取り消す。
(二) 右取消しにかかる被控訴人らの控訴人本間産業に対する請求をいずれも棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
2 被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
四 附帯控訴事件
1 被控訴人鶴田隆
原判決中被控訴人鶴田隆と控訴人らに関する主文第一項、第五項を次のとおり変更する。
「一 控訴人らは、被控訴人鶴田隆に対し、各自金八四四万六四五〇円、及び内金七四四万六四五〇円に対する平成元年一一月二七日から、内金一〇〇万円に対する控訴人石井林造及び同本間産業については平成四年六月五日から、控訴人樋川洋治については平成四年一二月二三日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。」
2 控訴人ら
本件附帯控訴を棄却する。
第二 事案の概要
本件の事案の概要は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決「第二 事案の概要」(原判決書二枚目裏一一行目から九枚目表八行目まで)と同一であり、証拠の関係は原審及び当審記録中の証拠関係目録のとおりであるから、これをそれぞれ引用する。
一 原判決書三枚目表二行目「である。)」の次に「の隣地」を加え、同四行目の「地下水が漏水し陥没を生じ」を「被控訴人隆所有土地の一部が陥没、沈下し」と改め、同七、八行目の「七一七条」の次に「一項、民事保全法五〇条五項」を加える。
2 原判決書三枚目裏二、三行目の「(以下本件土地建物」という。」を「(以下「本件土地」、「本件建物」という。」と、同裏四、五行目の「(以下「隣地」という。)」を「(以下「隣地」又は「石井土地」という。)」と、同五行目の「千代の夫」を「訴外石井千代の夫」とそれぞれ改め、同裏七行目の「被告樋川」の前に「一級建築士で建築設計管理業を営む」を、同行の「設計監理契約」の次に「(設計監理料三三〇万円)」を、同八行目の「被告本間産業株式会社」の前に「建築請負業を営む」を、同行の「建築請負契約」の次に「(請負代金は、銀行に提出した乙三の契約書上では七〇〇〇万円とされたが、実際には五九〇〇万円とする約束)」をそれぞれ加える。
三 原判決書四枚目表二行目の「本件土地から地下水が漏水し」から同四行目の「隣地側に傾き」までを、「土留めの一部がたわんで石井土地側に傾いたり、ひび割れたりし、かつ、本件土地の石井土地に面した側の一部に陥没が生じたりして本件建物が石井土地側に傾斜し」と改め、同六、七行目の「結果が生じた」の次に「(甲一の1ないし26、三七、三八)」を加える。
四 原判決書四枚目裏三行目の「被告石井に対して、」を削り、同五行目、九行目、同五枚目表四行目、同七枚目裏四行目の各「仮差押」を「仮差押え」と改める。
五 原判決書五枚目裏五行目の「被告石井には、」の次に「民法七一六条但書に基づき、」を、同九行目の「これを怠った過失がある。」の次に行を改めて次のとおり加える。
「(五) また、控訴人石井は、本件ビルの占有者(所有者)であるから、本件ビル建築工事のためにした地下掘削工事に瑕疵があったことは、土地の工作物の設置に瑕疵があったものとして、民法七一七条一項に基づき、被控訴人らの受けた損害について賠償責任を負うべきである。
(六) 被控訴人隆のした前記最初の債権仮差押申立ての手続において控訴人石井は、本件ビルの工事が未完成の段階であり、未払工事代金があったにもかかわらず、第三債務者の陳述として控訴人本間産業に対する未払工事代金が存在しない旨の不実の回答をした。」
六 原判決書六枚目裏四行目の「本件土地」を「本件土地、建物」と、同七枚目裏一行目の「虚偽陳述」を「不実の陳述」とそれぞれ改める。
七 原判決書七枚目裏九行目の「知識、経験がなく、」の次に「本件土地周辺が軟弱な地盤であるとの認識もなかった。だからこそ」を、同八枚目表二行目の「本件請負工事に関しては、」の次に「そもそも工事が未完成で工事代金に見合う工事がなされていないから工事残代金債務は未発生であるのみならず、」をそれぞれ加え、同七行目の「関ノ」を「関の」と改める。
八 原判決書八枚目表四行目の「第三者陳述をしたのは正当な行為である。」
の次に行を改めて、次のとおり加える。
「右の控訴人石井自身の損害を具体的に述べると次のとおりである。
(1) ビルの未完成による損害一九〇〇万円
控訴人石井と控訴人本間産業間で締結された本件ビルの新築工事請負代金総額は五九〇〇万円であり、工事完成予定は平成二年三月二〇日であった。しかし、実際に一応使用できる状態になったのは平成二年の年末であった。控訴人石井は同年一〇月三一日に本件ビルに引っ越してきたが、ビルは未完成で、仕上げがなされていなかったり、雨漏りなど多方面にわたる杜撰な手抜き工事があり、通常の使用に堪える状態ではなかった。控訴人石井は控訴人本間産業にすでに四〇〇〇万円を支払済みであり、形式上は一九〇〇万円の残代金が存在するようにみえるが、これらによるビル全体の価値の低下を考えると、控訴人石井の控訴人本間産業に対する残代金支払義務はないと考えられる。
(2) ビル完成遅延による損害
ア 積極損害二五九万円
ビルの工事期間中、控訴人石井は家賃二一万円のアパートを借りていた。そのため、工事遅延により、平成二年四月分から同年一一月分まで八か月分合計一六八万円の損害を受けた。また、本件ビル工事の際、工事用車両駐車のための月額七万円合計九一万円の駐車料金は、控訴人本間産業が負担するとの約定で控訴人石井が借りたものであるが、控訴人本間産業はこれも支払っていない。
イ 消極損害
本件ビルについては、本来であれば、一階ないし三階のテナント料は平成二年四月から得られたものであるが、工事遅延のため、賃料収入が得られるようになったのは一、二階については一〇月から、三階については一二月からである。そこで、一、二階の賃料月額三四万円の六か月分及び三階の賃料月額一五万円の八か月分の合計三二四万円が現実の逸失利益である。
また、控訴人石井の娘婿である訴外和田哲夫は株式会社SD企画を設立し、本件ビルの一室を借りて業務をする予定で各方面にその旨の通知をし、準備を進めてきた。本来、平成二年四月から業務を開始し得たのに、実際には一二月から業務を開始しその八か月間の得べかりし利益は少なくとも一〇〇〇万円は下らない。
(3) その他にも、工事の遅延により、控訴人石井の妻は心労の余り平成二年五月ころから六か月間胃潰瘍により入院を余儀なくされ、控訴人石井も心労が重なりストレス性の膀胱炎を患い、同じ頃数か月の入院を余儀なくされた。また、控訴人石井は、本来控訴人本間産業が負担するべきエレベーター業者等設備関係の下請先から代金支払を要求されており、それらも損害の一部となる可能性もあった。」
九 原判決書九枚目表二行目から八行目まで(四の項)を次のとおり改める。
「四 争点
1 本件土地の地盤沈下及び本件建物損傷の原因は、石井土地の掘削によるものであるか。
2 控訴人本間産業には、工事請負人として、本件土地の地盤沈下及び本件建物の損傷の防止につき被控訴人らに対する不法行為上の過失があったか。
3 控訴人樋川には、工事監理者として、石井土地についての地質調査を行わず、若しくは地盤改良工事、掘削工事等についての適切な指図、監督を怠った等、被控訴人らに対する不法行為上の過失があったか。
4 控訴人石井には、本件土地の地盤沈下及び本件建物損傷について、本件ビル工事の注文者としての注文、指図上の過失があったか、また、石井土地の工作物である本件ビルの占有者(所有者)として、土地の工作物設置の瑕疵の責任を負うか。
5 控訴人石井は、被控訴人隆のした債権仮差押申立ての手続における第三債務者の陳述において不実の陳述をしたか。
6 被控訴人らの損害の内容と数額」
第三 争点に対する判断
一 争点1(本件土地の地盤沈下及び本件建物損傷の原因)について
当裁判所も、本件土地の地盤沈下とその地上の被控訴人隆所有の本件建物の傾き等が生じた原因は、石井土地の掘削によるものであると判断する。その理由は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決書九枚目表一〇行目から一一枚目裏二行目までと同一であるから、これを引用する。
1 原判決書九枚目裏一行目の「丁三」、の次に「七、一四、」を加え、同一一行目の「本件土地側から掘り下げた。」の前に「かつ、石井土地全体を平均的に掘り下げるのでなく、一方向の」を加え、同一〇枚目裏三行目の「二〇約センチメートル」を「約二〇センチメートル」と訂正する。
2 原判決書一一枚目表二行目の「本件土地の地盤沈下」の次に「及び本件建物の前記損傷」を加え、同三行目の「生じたものであることは明らかである。」の次に行を改めて、次のとおり加える。
「そして、当審鑑定人泉宏の鑑定結果によれば、本件土地の地盤沈下の原因は、本件土地一帯の軟弱な地層を考慮せずに、本件ビル建築にあたり石井土地の側に誤まった山留め工事と根伐り工事を行ったこと(具体的には、<1>親杭部材に曲げ剛性の低いレールを採用していること、<2>大型機械での施工が困難なため、親杭は上部の軟弱な粘性土地盤までしか根入れがされていず、硬質地盤への根入れ不足が推定されること、<3>三・五メートル程度まで掘削を行っているのに切梁、火打梁など支保工を施さないで工事が進められ、無支保の場合に設置すべき山留め壁頭部の頭繋ぎ材も施工されなかったこと、等)によるものと認められる。」
3 同枚目表一〇行目の「頬杖」を「方杖」と訂正する。
二 争点2(控訴人本間産業の過失)について
当裁判所も、本件土地の地盤沈下とそれに起因する本件建物の損傷について、控訴人本間産業には過失があると判断する。その理由は、次のとおり訂正するほかは、原判決書一一枚目裏四行目から一二枚目裏四行目までと同一であるから、これを引用する。
1 原判決書一一枚目裏末行から一二枚目表一行目にかけての「使用したものであったこと」を「使用したものであった。また」と、同二行目の「補強工事をしていないこと」を「補強工事をしておらず」とそれぞれ改め、同四行目から八行目まで(3の項)を次のとおり改める。
「3 以上認定の各事実及び当審鑑定人泉宏の鑑定結果(既に判示のとおり、同鑑定によれば本件地盤沈下の原因は、(1)山留め壁(親杭)の剛性不足、(2)親杭の硬質地盤への根入れ不足、(3)腹起し、方杖、切梁、頭繋ぎ等の不施工等による支保工計画の不備、が複合的に組み合わさり、山留め壁の変形量が増大して生じたものと認められる。)に照らせば、控訴人本間産業としては、掘削による本件土地の地盤沈下とそれに起因する本件家屋の損傷を防止するために、山留め壁の変形を起こさないよう右記のような点に十分配慮した山留め工事を行う必要があったことは明らかであり、右必要性等は建築業者であれば当然予見できるものと考えられる。ところが、控訴人本間産業には、これらの点の配慮が全くといってよいほど欠け、いわば場当り的に前記不十分な山留め工事のまま石井土地の掘削工事に着手したものであって、上記配慮を怠った過失があるものといわざるを得ない。」
三 争点3(控訴人樋川の過失)について
当裁判所も、工事監理者たる控訴人樋川についても被控訴人に対する不法行為上の過失があると判断する。その理由は、次のとおり訂正するほかは、原判決書一二枚目裏六行目から一四枚目裏七行目までと同一であるから、これを引用する。
1 原判決書一二枚目裏六行目の「三三」を「三三の1及び2」と改め、同九行目の「ボーリング調査はしていない」の次に「(控訴人樋川作成の本件ビル工事に関する構造設計概要書(甲二八、九ページ)には「ボーリングによる地質調査」を行ったかのような記載があるが、これを行っていないことは控訴人樋川自身その供述(第一回)において自認している。)」を、同一一行目の「地質柱状図に極軟と記載されている」の次に「(また、同柱状図によれば、標準貫入試験では、一〇センチメートルごとの打撃回数は深度約六・一五メートルまではゼロ回に近く、その深度までは極めて軟弱なことが一目瞭然となっている。)」を加える。
2 原判決書一三枚目表八行目から同裏五行目まで(4の項)を次のとおり改める。
「4 以上の認定の各事実及び当審鑑定人泉宏の鑑定結果によれば、本件土地一帯が地下六~七メートル位までは粘土層の極めて軟弱な地盤であることは、簡単な地質調査をすることや付近の土地の地質柱状図などを参考にすれば容易に認識し得たものであり、一級建築士で設計管理を業とし、本件ビルの設計、工事監理を控訴人石井から委託された控訴人樋川としては、杜撰な山留め工事等を施工した場合には隣接地の地盤沈下を生ずるおそれのあることは十分予見し得たはずであり、本件ビル建築の工事監理をするに当たっては適切な山留め工事や根伐り工事を施工業者に立案、指示し、監理する責務があったものというべきである。しかるに、控訴人樋川は建築確認の際に添付した構造設計概要書(甲二八)においてはボーリングによる地質調査を実施するとしながらこれを実施せず、山留め計画書、仕様書、計算書等も作成しないまま、控訴人本間産業が山留め工事を開始することを許諾し(しかも控訴人本間産業に対し、山留め工事の親杭の材質、剛性、根入れ深さ、支保工のあり方等について事前に具体的な指示を出した形跡もない。)、結果として前記のような控訴人本間産業の極めて杜撰な山留め工事と根伐り工事を行わせることによって本件土地の地盤沈下と本件家屋の損傷をもたらしたもので、控訴人樋川には本件ビル工事の監理を行うに際して過失があったというべきである。」
四 争点4(控訴人石井の過失)について
前記争いのない事実等と《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 控訴人石井は、大正五年生まれであるが、かねて五反田付近に住み、目黒川の近くに所在する現在の住居地には四〇年近く前から住んでおり、近くの目蒲線の電車が通ると家屋に震動があることを経験していた。同控訴人は、以前は取壊し前の建物(二階建て)の一階で鉄工所を営み、二階を住まいとしていた。平成元年ころ、同控訴人は旧建物を取り壊して、その土地上にビルを建築することを計画し、その詳細を娘婿の和田哲夫に委ねた。
(二) 控訴人石井は、和田が銀行の紹介で知った一級建築士の控訴人樋川に本件ビルの設計を依頼し、平成元年六月二一日、新築する本件ビルの設計と工事監理を控訴人樋川に業務委託し、報酬を三三〇万円とする建築士業務委託契約を締結した(これらの契約手続は、控訴人石井に代わり和田が行った。)。
そして、控訴人石井は、控訴人樋川の紹介で工事施工業者として控訴人本間産業を紹介され、同年一〇月一六日ころ、本件ビルの建築工事請負契約を控訴人本間産業との間で締結した。工事請負代金は実際は五九〇〇万円であったが、銀行から融資を受ける便宜上、控訴人石井は控訴人本間産業との間で代金を七〇〇〇万円とする工事請負契約書を作成し銀行に提出していた。
(三) 控訴人樋川は、平成元年八月三日に、新築する本件ビルの確認申請書及び建築計画概要書を品川区役所に提出し、同年一〇月六日に確認を得たが、それによれば、新築ビルは地下一階、地上三階で、地下部分の深さは約二・五メートルとなる計画となっていた。ところが、実際には控訴人樋川は控訴人本間産業に対して、地上四階(一階は半地下)で、しかもその半地下の下にもう一階分の地下室を造るような内容の設計図を渡し、このとおり施工するよう指示した。それによれば、地下部分は四・四五メートル位掘削することが予定されていた(原審における控訴人樋川本人の供述(第一回)によれば、設計については控訴人石井と協議しつつ進められたことが認められるから、右の建築確認図面と異なる地下室の設計についても、控訴人石井と控訴人樋川が相談の上計画したものと推認される。)。
(四) 控訴人石井は工事期間中は他にアパートを借りて転居し(アパートの所在については被控訴人らには知らせなかった。)、工事の進行については、控訴人樋川や控訴人本間産業にもっぱら任せ、自ら工事の状況をみたり指示することもなかった。工事は右のように地下一階、地上四階(うち一階は半地下)の計画のまま進められたが、途中区役所から地下室の部分が建ぺい率に違反することやビルの外階段が本件土地側にはみ出していることなどが指摘されることがあった。このため、控訴人石井としては、地下室は建築するものの配管室として用い、床面積には含めない旨の誓約書を提出することとして区の了承を得たり、外階段の位置を是正するなどし、ようやく平成二年夏ころほぼ本件ビルの工事が完成した。
2 ところで、本件におけるように隣地に接着して地下室付きのビルを建築しようとする場合は、相当の深さに地下を掘削することになることは自明であるから、たとえ建築工事等について専門的知識がなくても、右工事が十分な配慮なしに行われることになれば、隣接地の地盤沈下等を惹起しその地上家屋に被害を及ぼすことは容易に予測できるというべきである。したがって、注文主としては、そのような被害防止のために適切な措置を講ずるよう請負人に命ずべき注意義務が、また、もし請負人が右措置を講じないで工事を施工する場合には直ちに工事を中止させるなどの注意義務があるものというべきである(昭和五四年二月二〇日、最高裁判所第三小法廷判決、判例時報九二六号五六頁参照。)。そして、このような注意義務は、注文主が建築専門家たる建築士と工事監理契約を締結し、工事監理を委任したからといって当然に責を免れるものではなく、工事監理者に工事監理上の過失があったと認められる場合には、本人たる注文主について、請負人に対する直接の、または工事監理者を通じて間接の注文、指図上の過失が問われる場合があるものといわなければならない。
これを本件についてみるに、本件土地周辺は、前記認定のとおり目黒川の近くに位置し、控訴人石井は過去四〇年近く現住所に居住しているのであるから、一般に軟弱な地盤であることの認識はあったものと推認せざるを得ない。しかも、控訴人石井は、前記認定のとおり建築確認上は地下二・五メートル程度の地下室付きの地下一階、地上三階の建物を申請していたが、実際には地上四階(一階は半地下)で、しかもその半地下の下にもう一階分の地下室を造るべく地下部分を四・五メートル位掘削することについても控訴人樋川と相談し、これを認識していたものと推認できるから、このような地下掘削について、もし被害防止のために十分な措置が講ぜられないまま山留め工事、根伐り工事等が行われるときは、隣地の地盤沈下を引き起こし、同土地上の被控訴人隆らの所有ないし居住する本件建物に重大な損害を引き起こすことを容易に予見できたものというべきである。ところが、控訴人石井があらかじめ請負人である控訴人本間産業にそのような損害防止のために適切な措置をとるよう注意を喚起した形跡も本件証拠上見当らず、かえって、本件ビル工事中は他に転居して(転居先も被控訴人らに知らせなかった)、工事の状況について把握せず、全く控訴人樋川や控訴人本間産業に任せきりの状態であったことが窺われるから、本件のような隣接地の地盤沈下等が容易に予見される工事を発注した注文主としては、請負人たる控訴人本間産業に対する前記の指示等の注意義務を怠ったものというほかはなく、注文者としての過失責任を免れない。控訴人石井は、控訴人樋川との間に本件ビルの工事監理等を内容とした建築士業務委託契約を締結し本件ビルの工事監理を委任したのであるが、前記三で認定したように、控訴人樋川は地質調査を実施せず、山留め計画書、仕様書、計算書等も作成しないまま、控訴人本間産業に山留め工事を開始することを許し(しかも控訴人本間産業に対し、山留め工事の親杭の材質、剛性、根入れ深さ、支保工のあり方等について事前に具体的な指示を出した形跡もないことは前記のとおり。)、結果として本件土地の地盤沈下と本件家屋の損傷をもたらしたもので、控訴人樋川には本件ビル工事の監理者として過失があったと認められるところ、控訴人石井において工事監理者たる控訴人樋川に対して控訴人本間産業の本件地盤掘削工事につき万全を期するよう注意させるべき間接的指示を与えた形跡も認められないから、このこともまた注文主たる控訴人石井本人としての注意義務違反の一事情として評価せざるを得ない。
以上により、控訴人石井には注文主として注文または指図について過失があり、民法七一六条但書により被控訴人らに生じた被害について責任があるというべきである。
なお、控訴人石井が本件ビル工事の契約関係等の詳細を娘婿の和田に任せていたことは前認定のとおりであり、原審証人和田哲夫は、平成二年五月ころ、控訴人樋川を通じて被控訴人鶴田方から本件建物が傾いてきたことにつきクレームを付けられたことを聞知し、控訴人樋川に対し「あんた監督してんだから工事屋さんに直させなければだめじゃないか」と伝え、控訴人本間産業が責任をもって補修する旨を聞き、また、被控訴人隆に対する補修を約束した平成元年一二月六日付けの控訴人本間産業作成の念書及び平成二年五月二二日付けの控訴人本間産業及びその下請業者の鎌田工務店連名の「居宅修補工事誓約書」を見せられて業者がきちんと対応する旨の報告を受けていた旨供述する。しかし、同時に、同人は現場にほとんど臨まなかったこともその供述において自認しており、右控訴人樋川とのやりとりや念書等の確認も注文者たる控訴人石井が責任を負わないことを強調するのみで、しかも既に石井土地の掘削工事着手後で本件建物への影響が出はじめた後のことに過ぎないから、控訴人樋川との右の程度のやりとり及び念書等の確認によって控訴人石井の注文者としての過失責任を免れさせるには足りない。
五 争点5(控訴人石井の第三債務者としての不実陳述)について
1 前記争いのない事実と《証拠略》によれば、控訴人鶴田隆は、控訴人石井に対して、本件家屋修理代金債権(六六五万三四四〇円)を保全するため、平成二年八月九日、控訴人本間産業が控訴人石井に対して有する本件ビル建築請負契約に基づく請負代金債権(同額)について、仮差押えの申立てをし、同月一三日に右決定を得たこと、控訴人石井は、同年八月二八日、右手続における第三債務者の陳述書において、代理人弁護士の名により右仮差押えにかかる債権はないとの陳述をしたこと、しかし、実際にはその時点では請負代金五九〇〇万円のうち四〇〇〇万円のみが控訴人石井から控訴人本間産業に支払われた状態にあったことが認められる。
ところで、《証拠略》によれば、控訴人石井が第三債務者の陳述書(甲二一)に回答した平成二年八月二八日当時、本件ビルはほぼ完成していたことが認められるから(本件ビルは同年九月一七日に新築されたものとして同月二九日に表示登記されていることはこのことを裏づけるものである。)、控訴人石井は控訴人本間産業に対し、一九〇〇万円相当の請負代金債務を負っていたというべきである。したがって、控訴人石井仮差押えにかかる債権の存否につき「ない。」と回答したことは不実の内容であったと判断せざるを得ない。
2 控訴人石井は控訴人本間産業の工事遅延や杜撰な工事内容、未完成工事部分の存在などにより、請負工事残金はないものと認識していたから、前記のように回答することについて正当な理由があった旨の主張をする。
しかしながら、控訴人石井主張の工事代金に見合う工事がなされていないから工事残代金は未発生である旨の事実を認めるに足りる証拠はなく、かえって一九〇〇万円相当の残代金債務を負っていたことは前認定のとおりである。
そして、もし控訴人石井において工事の未完成ないし杜撰な工事、あるいは工事遅延による損害または瑕疵修補に代わる損害が生じていたとしても、本件第三債務者としての陳述の当時、前記控訴人本間産業の控訴人石井に対する工事残代金債権と相殺の意思表示をしていたわけでもないから、控訴人石井としては、(特に弁護士代理人による陳述であるから、)右第三債務者としての陳述においては、仮差押えに係る債権の存在を認めた上で、反対債権をもって相殺の予定であること、及び同時履行の抗弁権を有すること等を理由として右工事残代金の全部又は一部につき弁済する意思がないことを回答すべきであり、またそれは可能であった(民事執行規則一三五条一項二号、甲二一号証の3、4の欄参照)。
したがって、単に控訴人本間産業に対する損害賠償請求権を有していたことを理由に未払工事代金債権の不存在の旨を回答したことが正当な行為であるとする控訴人石井の主張部分は、主張自体失当というべきである。
六 争点6(損害の内容と数額)について
この点についての当裁判所の判断は、次のとおり訂正するほかは、原判決書一六枚目裏五行目から一九枚目表五行目までと同一であるから、これを引用する。
1 原判決書一六枚目裏七行目の「五〇〇万円」を「五七三万二〇〇〇円」と改める。
2 原判決書一七枚目表五、六行目の「右のうち、被告らの不法行為と相当因果関係のある部分を金銭的に評価した損害額は、少なくとも、五〇〇万円を下らないものと認められる。」を「当審鑑定人泉宏の鑑定結果(補充)によれば、右のうち控訴人らの不法行為と相当因果関係のある部分を金銭的に評価した損害額は、五七三万二〇〇〇円と認めるのが相当である。」と改める。
3 原判決書一八枚目裏一一行目の「虚偽陳述」を「不実陳述」と改める。
第四 結論
そうすると、被控訴人鶴田隆の控訴人らに対する不法行為に基づく本件建物損傷に伴う損害賠償請求(控訴人石井は民法七一六条但書、同本間産業及び同樋川は民法七〇九条に基づく。)は、七七九万二七八〇円及び内金六七九万二七八〇円に対する不法行為の後である(以下同じ)平成元年一一月二七日から、内金一〇〇万円に対する控訴人石井及び同本間産業については平成四年六月五日から、控訴人樋川については平成四年一二月二三日から(内金一〇〇万円についての遅延損害金の起算日は、各訴状送達日の翌日である。)、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金支払を求める限度で、被控訴人鶴田隆の控訴人石井に対する民事保全法五〇条五項、民事執行法一四七条二項に基づく損害賠償請求は二五万八五〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明白な平成四年六月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから認容すべきであるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。よって、控訴人らの本件控訴はいずれも理由がないから棄却し、被控訴人鶴田隆の附帯控訴に基づき、右と異なる原判決主文第四項の一部を本判決主文第二項記載のとおり取り消した上、本判決主文第三項のとおり更に被控訴人鶴田隆の請求を一部認容し、その余の附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九三条、八九条、九五条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 荒井史男 裁判官 田村洋三 裁判官 豊田建夫)